佃煮の歴史-2
The History of Tsukudani(2)

漁業地の佃島の特権

家康が江戸城に移りましたのは天正18年・1590年。森孫右衛門を筆頭とする漁民30余名も、徳川家の御肴役として江戸に移住してきました。その頃は、今の佃地区ではなく小石川や小網町の武家屋敷内に共に住むことが許され、掘番として手当も受けていました。三代将軍家光の時代に入りますと、幕藩体制がしっかりと出来上がり、町家と武家との居住分離が始まりました。関西の佃村から移住してきた漁民達も多くなったので、新しい土地で、武士とは別の住まいが必要になつてきました。そこで漁業に便利な生活の場として、鉄砲洲の東の干潟の使用許可を申しでたのです。幕府は百間四方・ 約180m四方を自由に使うことが出来る許可を出しました。喜んだ漁民は早速に築島作業にとりかかり、老若男女が一丸となって汗を流し、正保2年・1645年に佃漁民の島を造りあげました。この時郷里の佃村に因んで「佃島」と名付けたのです。
 社殿を造り、郷里の産土神を分祇した祭神をお祀りしたのが、現在の住吉神社です。佃の漁師は、将軍家の御肴役だけではなく、江戸の人口の激増に伴う町民の食生活を支える大事な漁業者だつたのです。 江戸の湾岸には84浦もあり漁村が沢山有り、幕府は増え続ける江戸住民のお魚確保のために、従来の漁業者を保護してきましたが、漁獲方法が大変素朴でしたので、需要に追いつきません。そこで幕府は、漁業技術のすぐれた関西の漁民を優遇して、どんどん移住させたのです。

 佃煮のギフトは大名のお気に入り
佃煮の神様

  江戸幕府の台所へ出入自由の佃島の漁民達は、江戸前の新鮮な白魚を主に献上魚として、残った雑魚を江戸市中で商いし、暮らしを立てていました。当時の佃島は離島でしたから、海が荒れて漁業が出来ない時のために、昔からの生活の知恵で伝承してきた雑魚の保存を醤油炊きしておきました。やがて雑魚だけでなく江戸前の新鮮な白魚やハゼ、小海老などのいろいろな小魚を醤油で煮込み始めました。保存食として作り始めたのですが、日が経つにつれ味が馴染み、美味しくなることに気がつき、江戸詰めの大名の食膳にも上るようになり、国元への大名土産として大事に取り扱われました。こうして江戸の佃煮は日本全国に広がっていきました。住吉神社の守護神は、航海安全を祈願する海の神様として、江戸の商人や回船問屋の間で信仰が高まり、参拝者が多くなっていきました。神社では参拝に来る人達に、御神酒と小魚の醤油煮を出されました。江戸の生活も豊かになり、江戸詰めの大名や留守居役の交際も優雅になり、佃島にも春の花、夏の涼、秋の月を追って島回りを楽しむ人が多くなっていきました。佃島では、自慢の江戸前佃煮を食べさせてくれるところが多くなってきました。味わうほど美味しさが伝わる貝類の佃煮も、訪問者を喜ばせました。
 佃煮は、すつかり江戸の人気ものになりました。しかし、このころはまだ高級美味珍味としての食通の方の口にだけというものでした。もちろん現在でも、食の匠が丹誠込めて仕上げた素晴らしい佃煮も沢山あり、美味逸品です。
 江戸前の現代状況は、芝浦から水上バスでお台場コースを回って見るのも楽しいものです。レトロに浸りながら東京の未来が展望出来るような気がします。


佃煮土産の大名行列

佃島めぐりの屋形船


佃煮

佃煮の歴史−1

佃煮の歴史−3