大阪は佃煮の故郷
 阪駅から阪神電車で10数分の千船駅を降りると西淀川区「佃」地区にでる。
ここが佃煮縁の地であることは、意外に知られていない。佃煮の逸話はこの地が発祥である。
 田蓑神社の境内に「佃漁民ゆかりの地」の碑が立っている。
話は天正10年、本能寺の変で家康公が生死をかけて、明智光秀の追撃の退路から始まる。
その時、体力を支えた携帯食に佃煮が登場する。天下を治め神格化された家康公にとって、
品位を落とすような出来事は徳川記では、些か粉飾されている。
そのため家康が佃の漁民や忍者の助けをかりて、漁民の非常食や忍者食
を抱えて逃げ帰ったなどと言う話しは、体裁よく「家康公が住吉神社参拝
の折、川を渡る船に窮していたので、即座に佃の漁民が船を出してもてな
した、その忠誠心に応えて」と言うことになっている。
 そのようなことで、この地の漁民に、家康が特権を与えるわけがない。
川を渡り伊賀を越え、海路での必死の逃亡した家康にとっては、肝を冷や
した出来事であった。生死に関わる家康のその危機を、命にかけて守った
佃の漁民衆の働きこそ、佃煮が世に出るきっかけとなった。
歴史に残る家康の危機は、このほかに三方ケ原の武田信玄との戦での惨敗、
大阪夏の陣での、真田幸村による本陣の急襲と三度の危機に遭遇しているが、天運は見捨てずすべての難関を突破している。
そのつど食にまつわる面白いエピソードが伝えられている。
 食は命の源泉、まずは「食べる」ことから全てが始まる。また食と言う文字は、「良い」と「人」を組合わせて出来ている。
従って、つくる人、売る人、食べる人に信頼が深まって、はじめて安全、安心という大事な課題に取組める。
 昔から佃煮業界には正直な人が多いのも、これから紹介していく歴史的な経緯からもよく理解できる。それはいつの世も
正道を貫いてきた先人の真心が、確りと受け継がれてきたからであろう。
 次に三方ケ原から逃走中の「追っかけ銭取餅」の逸話をちょっと紹介しよう。