HACCP時代の食品加工と微生物
HACCPについての雑感(1)

東京水産大学食品生産学科教授 藤井建夫

水産物食中毒の発生率が高い欧米諸国
   米国(1973〜1987)
カナダ(1982〜1983)
オランダ(1980〜1981)
   件数

件数

件数

総数
原因食品判明
原因食品不明
7,458
3,699
3,759
100.0
49.6
50.4
1,951
1,692
259
100.0
86.7
13.3
686
683
3
100.0
99.5
0.5
  件数

件数

件数

原因食品判明総数
水産物
牛肉・豚肉
鳥肉
野菜
卵・卵製品
穀類製品
乳・乳製品
その他
3,699
753
579
253
241
38
100
158
1,577
100.0
20.4
15.7
6.8
6.5
1.0
2.7
4.3
42.6
1,692
148
404
194
138
4
151
157
496
100.0
8.7
23.9
11.5
8.2
0.1
8.9
9.3
29.3
683
60
91
18
15
1
27
36
435
100.0
8.8
13.3
2.6
2.2
0.1
4.0
5.3
63.7
表1 世界における食中毒・食品由来疾病の原因食品
 欧米のHACCPでは水産物がまずその規制のターゲットになっており、これら諸国では水産物に対する衛生上の警戒が強いことがうかがえる。各国の原因食品別食中毒発生状況(表1)をみると、国によって食中毒の分類や調査時期・方法が異なるので一律に比較することはできないが、いずれの国においても水産物によるものが全体の9〜20%を占めており、一見したところ、わが国の数値(表2)とさほど違わない。それにもかかわらず水産物に対する警戒が強いのはこれら諸国では水産物消費量に比べてそれによる食中毒発生率が高いためと思われる。
  件数

患者数

死者数

総数
原因食品判明
原因食品不明
1,217
894
323
100.0
73.5
26.5
43,935
42,319
1,616
100.0
96.3
3.7
15
13
2
100.0
86.7
13.3
  件数

患者数

死者数

原因食品判明総数
<魚介類>
貝類
フグ
その他
<魚介類加工品>
<肉類及びその加工品>
<卵類及びその加工品>
<乳類及びその加工品>
<穀類及びその加工品>
<野菜類及びその加工品>
キノコ類
その他
<菓子>
<複合調理食品>
<その他>
894
144
43
21
80
8
23
35
2
18
59
35
24
16
83
506
100.0
16.1
4.8
2.3
8.9
0.9
2.6
3.9
0.2
2.0
6.6
3.9
2.7
1.8
9.3
56.6
42,319
2,800
1,035
34
1,731
305
1,147
3,049
66
422
3,336
137
3,199
1,263
3,387
26,004
100.0
6.6
2.4
0.1
4.1
0.7
2.7
7.2
0.2
1.0
7.9
0.3
7.5
3.0
9.2
61.5
13
3
0
3
0
0
0
0
0
0
2
1
1
0
0
8
100.0
23.1
0.0
23.1
0.0
0.0
0.0
0.0
0.0
0.0
15.4
7.7
7.7
0.0
0.0
61.5
表2 わが国における平成8年度原因食品別食中毒の発生状況(厚生省)
 わが国の国民一人当たりの水産物消費量(1日当たり18.5g)は肉類(15.2g)、鶏肉・乳・乳製品(13.3g)とほぼ同じレベルとみてよいが、わが国の原因食品別発生割合(表2)も、水産食品、畜産食品、農産食品が大まかに同じ割合といえる。ところが、米国での水産物消費量(表1と同時期)は肉類の10分の1、鶏肉類の5分の1に過ぎないので、食品摂取量当たりの発生率でみてみると、水産物による発生率が極めて高いということになる。
 しかしこのようなデータから直ちに魚が衛生上の危害が特段大きい食品と考えるのは間違いで、その原因は、これら諸国では最近魚食が急増しているにもかかわらず、その取り扱いに不慣れなためであるように思われる。
 例えばFDAガイドでは、20ポンド以上の魚(ツナ以外)で外気温83°F(28.3℃)以下の場合、死後9時間以内に10℃以下のブラインに浸漬すればよいとあるが、わが国ではまずこのように長時間放置すること自体が考えにくい。 また魚の鮮度低下によって起こるヒスタミン中毒(アレルギー様食中毒)はわが国では年間数件であるのに対し、米国では年間800人(推定8000人)と報告されている。統計の取り方が異なるにしても、この違いは取り扱いの不備を示していると思われる。 HACCPに生かしたい魚食の経験欧米先進国に比べタンパク質源として水産物を多く取り入れている日本人の食事は、健康面から理想的なPFC(タンパク質、脂肪、炭水化物)バランスに近いといわれており、また低カロリーである点でも評価が高い。WHOの調査でも日本型食生活が高血圧、脳溢血、がんなどの成人病を抑え、長寿の原因であるとしている。
 肉食の割合が増えた昨今でも、日本人はタンパク質の3分の1以上を魚介類からとっており、世界一の魚食民族である。単に量が多いというだけでなく、魚の種類の豊富さや加工品の多様さでも群を抜いている。しかも魚の生食を好むという点でも、世界にあまり類をみない。
 欧米でも最近魚食の人気が高いようであるが、これは魚が成人病予防に効果があることや「頭が良くなる」ことなどがいわれ出したためであり、われわれとは食べる動機が異なり、魚への愛着や理解が違う。したがって、欧米人の考えた規制値をそのまま日本の食品に適用するとかなり無理が生じるにもかかわらず、現場ではしばしばこれが杓子定規に適用されるため理不尽なことが起こるようである。 ある加工業者の話によると、FDAマニュアルに「未凍結魚は4.4℃以上で連続4時間以上置かないこと」という管理基準があるので、シメサバのHACCPは、塩や酢を用いるにしろ、認められないとの行政指導を受けたという。シメサバにしても永い魚食の歴史の中で培われてきた知恵や技法によっているわけで、食塩または酢で締めることで微生物の増殖を押さえているのであるが、このような無茶な指導ではHACCPに前向きな業界の意欲をそぎ、また日本の伝統的な水産食品も消えてしまうことになる。
 また、数億の費用をかけてHACCP対応工場を新設したあるかつお節加工場の話によると、かつお節にも鮮魚と同じヒスタミンの規制値が適用されるのだという。少し考えればこれはおかしなことで、かつお節はだしを取ったり、おひたしに少量乗せて食べたりするもので、鮮魚のように一度に数十グラムも食べることはあり得ないので、規制値も1桁か2桁高くてよいはずである。
 現場の査察や指導に当たる人たちには、マニュアルに書かれたことを機械的に適用するのではなく、それぞれの食品にあった柔軟な対応が望まれる。日本人は永い魚食の歴史の中で魚の食べ方や加工・保存、衛生管理などについて習熟しており、HACCPにおける水産物規制についてその経験を大いに生かすべきであろう。
 中小規模の加工場にも適用 できるHACCPを水産物に限らず我々が日ごろ摂取している食べ物の多くはいわゆる伝統食品であり、それを支えている食品製造業は小規模なものが多い。統計によると従業員10人以下の施設が全体の80%以上、30人以下の施設が95%以上という。規模の大小を問わず食品の衛生管理にHACCPのコンセプトは積極的に取り入れるべきであろうが、それによって大多数の食品企業が圧迫を受け、ひいては日本の伝統的な食生活自体が破壊されることのないような配慮も望まれる。
 わが国の食品業界ではこれまでGMPの考え方があまり普及しなかったこともあり、施設面での様々な不備が指摘されており、HACCPの導入に際して施設の改善が必要となる場合が多い。しかしその際過度の施設整備は避けるべきである。日本のHACCP対応工場ではたいていエアーシャワー室が設置されているようであるが、米国の食品工場ではそのような設備を備えた加工場は見あたらないという。米国で現在州間取引または輸出を行っている工場はすべてHACCP基準を満たしていることになるが、日本に求められている(と思っている)基準を必ずしも満たしているとは思えない。形式的で過度な設備投資はかえってHACCP導入の阻害になるのではないか。実際、「月刊HACCP」によると、米国でも30〜40年も経ったような古い工場が多いが、そこでも柔軟な考え方で効果的なHACCPを実施し優れた製品を作っているという。
 施設の問題はどちらかというとHACCPの前提となるハードの部分であり、HACCPではそのシステムが日常的に柔軟に機能することが重要であるが、施設改善の問題は企業にとってかなりな重荷となるため、施設認定を受けることイコールHACCP認定というような誤解を招きかねない。
 わが国の食生活を支える大多数の中小食品企業にHACCPを広く普及させるためには、まず衛生管理のソフト部分であるHACCPのコンセプトを普及させることが重要であろう。それが徹底すればGMPの必要性やどのようなハード(施設・機器等)、対策が必要なのかが理解されていくのではなかろうか。