食文化は心の栄養素  A
H.Takeda
 料理商いの始まり
 1657年・江戸城本丸が焼失するという明暦の大火の後、浅草に大豆入りの茶飯と豆腐汁を出す茶飯屋ができたのが、江戸での料理屋の始りとされているようです。ようですというのは、江戸城下町が出来たころから食事処はあつたのではなかろうかと思うからです。
 大賀忠相が町奉行に登場した1717年の頃の享保年間になりますと両国や芝神明などの盛り場に、腰掛け小料理屋ができました。浅草にも二汁五菜、二汁七菜を出す茶屋もできてきました。1764年以降の明治時代に入りますと深川の岡場所も繁栄し、料理茶屋が神社仏閣のあるところに出来始め、隅田川沿いに料理茶屋が栄えていきました。有名な料理茶屋として洲崎の升屋、伊勢屋、日本橋の百川などあり、1800年代に入りますと山谷の八百善、深川大橋の平清、柳橋の梅川、万八などという饗応料理屋が栄えます。江戸料理の源流は、武家の本膳料理、庶民の腰掛け料理,会合饗応の高級料理の流れからきています。
 世の中が騒然としている時には、それなりの料理が生まれ、平和な時には楽しい料理が沢山生まれています。料理は食材料の無い時代も豊富な時代も、食べる一瞬を和ませてくれる夢とロマンをつくってくれます。何方も子供の頃に食べた素朴な料理の味の思い出を幾つかお持ちかと思います。それは以外に素朴な何時までも忘れない思い出の味ではないでしょうか。第2次世界大戦以前は、ホテルや割烹旅館でのお料理は、なかなか口にする機会は少なかったと思います。
 今は、ランチタイムに有名なホテルで食事をしたり、温泉旅館や外食レストランで、家庭では面倒なお料理も気軽に食べられる世の中です。それにデパートの食品売場では、ホテルや名前のよく知られた料理屋さんのお惣菜からお弁当までいつでも買えます。しかも選択に途惑うような状況です。それだけになにか食に対する感動が薄れているのではと気になります。飢餓に苦しむ国もあることを考えると心が痛む思いです。日本の食料資源の需給率を考えますと、ひとたび外国から食料資源が入ってこなくなれば、そんな贅沢な事は言っておられないのが実態でしょう。貴重な食料資源で美味しく調理して食べる食品を、もつと楽しく,心で味合うようにしていきたいものです。体によい食品は「心の栄養」から豊富にとれます。そんなことから次に一寸とした料理の基本分けについての説明を取り上げてみました。(写真は潟с}食提供)
健康管理は心と目で食事